コンピュータを利用した薬物設計先行技術に基づく医薬用途発明の進歩性判断
(特許法院2022年11月23日宣告2021ホ5174)
1.序論
コンピュータシミュレーション(以下「in silico方式」)を利用して新薬候補物質を探索する「薬物再創出(drug repurposing)」技法は、新薬開発の費用と時間を短縮する有効な方法の1つとして注目されてきた。特に、既に使用経験があって安全性が確認された既存の医薬品を新たな適応症(対象疾患)の治療薬として活用することで臨床試験の過程を一部簡素化できるという利点がある。
問題は、in silico分析から特定物質が新たな疾患に効果があると予測されたという点のみで、当該医薬用途発明の進歩性を認めることができるかどうかである。今回の判決は、有効成分と対象疾患が同一の先行発明にin silico方法を利用した薬理効果が記載されている場合、その先行発明に基づき出願発明の進歩性を否定できるかどうかに関するものである。
2.事件の概要
先行発明は、SARS-CoV-2に対する実行可能な治療方法を早期に開発するために、既にFDAの承認を受けた低分子薬物のうち、コロナウイルス感染症に治療効果を示すものと考えられる薬物を探すことを目的としており、in vitroまたはin vivoではなくデータアクセス方式のin silicoを通じて薬物候補群を選別する技術思想を開示している。
具体的には、本件第1項出願発明の構成要素1は、有効成分がラロキシフェンであるという点で先行発明と共通しており、構成要素2は、「SARS-CoV、MERS-CoV、HCoV-229E、HCoV-OC43及びSARS-CoV-2の中から選ばれるコロナウイルス感染症改善用組成物」であり、先行発明も、ラロキシフェンがSARS-CoV-2のMproまたはRdRp触媒部位に結合して作用する可能性があると開示しているので、SARS-CoV-2による感染症を対象疾患とする点で共通している。
但し、出願発明の請求項には医薬用途を導出する方法を限定していないが、明細書の記載を総合すると「in vitro」方法でラロキシフェンの新たな医薬用途を導出したものと考えられる反面、先行発明は相関表示マッピングと分子ドッキング分析とを組み合わせた「in silico」で導出した点で差異がある。
これについて、特許権者は、in silicoで有効性が予測された薬物であっても、in vitroにおいて有効薬物として再現される可能性は50%以下と非常に低く、in silicoは技術的に意味がないため、通常の技術者としては先行発明から本件出願発明を容易に予測できないと主張している。従って、本件の争点は、通常の技術者がin silicoを使用した先行発明から出願発明の医薬用途であるラロキシフェンのSARS-CoV-2感染症に対する治療効果を容易に予測できるかにある。
3.対象判決の要旨
これについて、特許法院は次のように判断した:
「薬物再創出は、薬物再利用または新薬再創出とも呼ばれ、既に市販され使用されていて安全性が立証された薬物や臨床試験で安定性はあるものの効能が十分立証されていないため許可されていない薬物を対象に、新たな対象疾患を確認する新薬開発方法である。特定対象疾患に効果がある薬物から新たな対象疾患を究明する点で、薬物再創出を通じて究明された『新たな対象疾患に対する治療効果』は、医薬用途発明の『用途』に該当しうる。
一方、発明の進歩性は、先行技術の範囲と内容、進歩性判断の対象となった発明と先行技術との差異について、通常の技術者が出願当時の技術水準に照らし差異点を克服して先行技術からその発明を容易に導出できるかどうかによって判断しなければならないから、進歩性の判断においては、特定の技術手段の抽象的な優劣を比較するのではなく、先行発明に開示された又は先行発明が示唆若しくは暗示する具体的な技術思想と進歩性判断の対象となる発明の技術思想とを比較しなければならない。
医薬用途発明では、通常の技術者が先行発明から特定物質の特定疾病に対する治療効果を容易に予測できる程度に過ぎないならばその進歩性が否定され、このような場合先行発明において臨床試験等による治療効果が確認されるまで要求されるとみることができない。
本件出願発明の優先日以前に既に薬物再創出分野においてin silicoが有用に広く使用されており、様々な種類のin silico方式を単独または組み合わせる方法で薬物の用途変更を行なった事例が知られており、先行発明において使用された分析法も、本件発明の出願以前から新薬開発分野において広く使用されている信頼に足るもので、先行発明には、上記分析法を通じて最終的にCOVID-19に対する治療効果を持つものと予測される9つの薬物候補の中の1つとしてラロキシフェンが明示的に開示されていた。
上記結果をみた通常の技術者であれば、ラロキシフェンが、SARS-CoV-2の活性を阻害できるためコロナウイルス感染症の治療効果を持ちうるものであることを容易に予測できるとみるのが妥当である。従って、本件第1項出願発明の進歩性は否定される。」
4.結論
このような特許法院の判決は、in silicoがin vitro等に比べて技術的に薬物の効果を予測する確率が相対的に高くないと仮定したとしても、技術手段の抽象的な優劣自体は、先行発明に具体的に開示された又は暗示若しくは示唆された技術思想を把握するのに影響がないと説示し、進歩性の判断は、対象発明と先行発明の技術思想を比較して技術の差異を容易に克服して容易に導出できるかを判断しなければならないという原則を具体的に説示しているという点で意義がある。
|
|